「忖度」無しの報道 "なんか"日本の報道に違和感を感じている人へ ちょっとクセあり番組だけど フォローしたら良いことあるかも?
今回は、戦後日本の司法の問題を象徴する免田事件について解説します。警察・検察・裁判所による違法な捜査・運用によって、無実の人間が34年間も収監されたこの事件が、どれだけ異常だったのかを見ていきます。
1948年、熊本県で一家4人が襲撃され、夫婦2人が殺害され、2人の娘が重傷を負う事件が発生しました。現場からは有力な物的証拠は出ず、指紋も検出されませんでした。
それにもかかわらず、警察は聞き込みを通じて免田栄さんに疑いを抱き、無理やり別件逮捕。さらに、違法な拷問によって自白を引き出しました。
物的証拠がないため、警察は別件で免田さんを逮捕。しかも逮捕状がないまま、知人宅から何時間もかけて連行しました。
免田さんは連日の暴力的な取調べで、睡眠時間を奪われ、ついに虚偽の自白を強いられました。
起訴後も、弁護人の助力を受けられず、孤立した状態で裁判に臨まざるを得なかったのです。
第1審では、拷問に怯えて事実を認める自白をしてしまいましたが、第3回公判以降は一貫して無実を主張。
アリバイも主張しましたが、三審(最高裁)まで全て退けられ、死刑判決が確定しました。
死刑確定後も、免田さんは獄中から無実を訴え続けました。
しかし、6度の再審請求はいずれも棄却。ようやく第6次再審請求で再審が認められ、1983年に無罪判決を勝ち取りました。
死刑確定から無罪確定まで、実に34年半。人生を取り戻すにはあまりにも長すぎる年月でした。
免田さんは、取調べ中に上着やズボンを脱がされ、殴る蹴るの暴行を受けました。
しかも1週間にわたって睡眠時間はわずか1時間。これは明確な拷問です。
事件の凶器とされたナタは、なんと「紛失」したと警察が主張。
実際は、検察に不都合な証拠だったため、故意に後半で提出しなかったと考えられます。
犯人の衣服から血痕が検出されなかった。
現場目撃証言も、免田さんの着衣とは一致しなかった。
それにもかかわらず、裁判所は無理やり自白を信用して死刑判決を下しました。
この事件は、戦後日本で死刑が確定していた囚人が再審により無罪になった初めての例です。
免田さんの精神力は驚異的でしたが、本来なら、ここまで耐えなければならない社会が異常です。
これらは「たまたま免田さんだけが不運だった」という話ではありません。
今この瞬間も、誰もが冤罪被害者になるリスクを抱えて生きているのです。
免田事件は、日本の司法制度がいかに危ういかを私たちに突きつけています。
これを他人事とせず、声を上げること、事実を拡散すること、改革を求めることが必要です。
明日は我が身かもしれない。
この現実を忘れず、みんなで冤罪をなくす社会を目指しましょう。
コラムニスト:根本 良輔(ねもと りょうすけ、1994年6月21日)
東京都練馬区出身。くりのみ保育園、大泉南小学校、大泉第二中学校卒業。石神井高校、芝浦工業大学を卒業後、東京大学大学院へ進学し(のち中退)、電気工学の研究に従事する。会社経営者、政治活動家、つばさの党幹事長。二児の父。
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