「忖度」無しの報道 "なんか"日本の報道に違和感を感じている人へ ちょっとクセあり番組だけど フォローしたら良いことあるかも?
愛知県に暮らすHさん(仮名)。年齢は40代後半。
70代の母とは離れて暮らしており、父はすでに他界している。いずれは母の介護をするつもりで計画を立てていた。
母親には3回ほど、不可解なことが起きていた。その度にHさんは母親の元へ駆けつけていた。
1回目が、遡ること2019年頃の出来事だった。会議室やホテルが入った複合施設(現在は存在しないという)で毎年年末に行われる、地域の権力者(警察署長、教育長、消防署長、地元の地主など)が公民館で集まる懇談会の最中だった。
Hさんの母親は自治会の副会長をしていたので、自治会長と共に会に参加していた。
1回、そこで、母親が夜になっても帰ってこないことがあった。
後で大きなA病院に搬送されたことを知る。
何でも記憶を失っていたのだという。
「母はそんなにお酒とか飲む人じゃないのに」…とHさんは首を傾げた。
その病院では、心臓弁膜症と診断され、そのときからずっと薬を処方していた。
Hさんが独断で調べたところによると、その薬の副作用に認知症があった。
一抹の不安を感じたが、でも命には代えられない、飲むしかないと思い医師に全てを任せていた。
その後、別の病院で治療を受けたところ、医師に心臓弁膜症ではないと告げられた。
当時はTVでACのCM、心臓弁膜症のテーマを扱ったものが割と流れていたが、その診療の後、次第に、心臓弁膜症のACのCMは流れなくなった、とHさんは印象深く覚えているという。
2回目は2023年。母親が道路で倒れ救急搬送されたという知らせが来る。母親本人は、何処で倒れたか記憶に無かった。しかし、認知症を患ってはいない。
因みにその時に居た人が、1回目のときそばにいた町内自治会長だった。
搬送後、体調は特に悪くないと診断されすぐに帰宅する。
しかし3回目にまたSOSが起こる。2023年の3月。退院してすぐだったという。町内の自治会長から、母親の所在がわからないと連絡を貰う。
母親宅に行き、呼び鈴を押し続けても一向に反応が無い。警察を呼んで無理に開けて貰おうとしたところ、中から母親がようやくヨロヨロしながら出てきた。警察が救急車を呼び、再度A病院へ搬送。
最初は貧血だと言われて救急車で搬送されたのだが、その翌日にいきなり母親が大腸癌だという宣告を受ける。
入院が必要だと言われた。医師から体内画像を見せられ説明を受けても、それが果たして本人のものなのかわからないので疑わしい、とHさんは当時を振り返った。
母親入院後Hさんは、母親と面会させて欲しいとA病院に訪れるが、コロナ禍を理由に面会もさせて貰えなかった。
そして2023年5月の中旬辺りの金曜日。母親が2週間後に手術するという話は聞いていたのだが、突如HさんのもとにA病院から電話がかかってきた。
「今日手術しないとお母さんは死ぬ、高熱もあるし危ない。」
はっきりと「手術しないと死ぬ」と電話で言われた。Hさんは怪しいと思い、病院とのやり取りは全て録音に残すようにしている。
この電話で疑わしいと思ったHさんは少し考え、すぐさま別の病院に相談してみることにした。
(※高熱の時は手術などさせない。通常〜37.5℃を超えるような発熱時は、代謝が異常に上昇しているため、さらに麻酔・手術を加えることは避けたほうが望ましい。ただし、緊急手術などである場合は、そのかぎりではない。医療ガイドラインより。)
違うB病院に行き話をすると「お母さんを連れてきて」と受け入れを承諾。
A病院に戻り、「母を転院させたい」と言ったところ、何時間にも及ぶ説得をされHさんが軟禁状態に。
A病院は中々転院の許可を下さず。最終的には許可が下りても、職員らは
「ダメだ」
の一点張り、「後で泣きついても二度と診ないから」などとも言われたという。
Hさんは母親が深刻な事態と聞き、A病院で説得され続けその間トイレもいけず、そしてB病院へ移転させるという、朝から夜中まで飲まず食わずで走り回り、母親の荷物も運び、この日はかなり疲弊していた。
この後やっと母親と言葉を交わすことができた。「今日、高熱あったの?」と聞いたところ、母親は「今日は熱など測っていない」と言う。「あのときは検査などやっていない」。そして手術のことも「何も聞いていない」と言うのだった。
気丈な母親は認知症など患ってはいない。
あの画像は果たして何だったのか?
その日に手術しないと命の危険にかかわるとA病院では言われていたのに、その後B病院に移転してからは、手術しなくても大丈夫という診断になった。
そして、Hさんは一段落したが、自身に「何かフラフラする」軽いめまいを感じた。
母親が検査後、緊急な手術の必要はないと言われて、そこでやっと一息つくことができ、看護師から入院の手続きをするので、病室に入るから念のため、Hさんにも熱を測るようにといわれ、そこで、Hさん自身が高熱になっていたことに気が付いた。
看護師からは入院の手続きは後日でいいといわれ、急いでタクシーに乗り込み、すでに夜中だったが、家にたどり着くやいなや玄関で倒れ、意識を失った。
土日を挟み、月曜日に最寄りの病院に行くと、医師からは深刻な面持ちで脳梗塞と告げられる。治療の間に合う48時間をとうに過ぎているので、基本治療のしようがない、その代わり通院をするように言われた。
(脳梗塞発症後は、症状が変動しやすく、早期治療開始で改善が期待できる。また、48時間以内であれば、治療効果もより期待できる。
脳梗塞48時間以降は、保存的療法〈症状を緩和したり、再発を防いだりする治療〉が中心になるが、発症後できるだけ早く医療機関を受診することが重要である)
それならば母親の入院しているB病院の外来で、診察を受ける手筈をすると、
「治療室行こうね、今から入院しましょう」
とストレッチャーに乗せられて点滴を受けるHさん。
「抜いてもらわないと動けない。抜いて下さい」と懇願しても抜いてくれない。そして数時間が過ぎた。
母親の事を考えると、何としても入院できない、と長時間、治療室で主張し続けた。
すると病院側は「君のためにこっちは何時間もかかっているんだよ?」と言ったのである。
「母の事が心配なので入院できません。無理です!」と言うと
病院側は書類をもってきて、署名するように言ってきた。
やむを得ず署名をしたが、その内容は
『入院しなくて死んでも病院に文句を言わない』というもの。
署名をしてから点滴は外され、自由の身になった。
Hさんは結局、入院だけはと断った。
具合いが悪くなったら自分から通院しますからいいです、と断ったのに、しつこく入院を勧めてくる。Hさんはその点を非常に気にしていた。
そして母親が移転したB病院でも、夜中になっていたにも関わらず、担当した先生に電話がかかり、先生がこっちを見ながら喋っている。
…もしかしてA病院からかかって来たものだろうか?とHさんは勘ぐる。「あっ、もう繋がっちゃったのか、っていう感じ。」不安が走った。
そしてB病院もまた、コロナ禍を理由に暫く面会もさせて貰えなかったという。
【母を返して! 行政の違法な高齢者連れ去り犯罪事件が多発 後見人を勝手に付けられ財産管理まで! 全国的異常事態 ②】に続く
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