「忖度」無しの報道 "なんか"日本の報道に違和感を感じている人へ ちょっとクセあり番組だけど フォローしたら良いことあるかも?
読書の秋だからこそ挑みたい!いきなり難しそうな「難解文学」読み方入門と小説の特徴、書き方をわかりやすく、より簡単にご説明する2本立てのお話。
『政治や事件のニュース、あるいは天気予報というものは、百人が耳を傾ければ百人が等しく理解できるよう、簡潔で明瞭でなければならない。
だが、文学、とりわけ難解と評される作品は、そうはいかない。
百人が頁を繰っても、ほんとうのところを掴むのはせいぜいそのうちの数十人にすぎず、残る多くは、物語の筋をどうにか追ったあと、解説やあとがき、あるいは丹念な検証の文章を経てようやく、その背後に潜む作者の企てや、語りの奥底に仕込まれた思索を知るのである。
そしてその理解のあり方は、読む者それぞれの経験や想像力に応じて、少しずつ異なる顔を見せるのだ。』
「難解さ」は単に文体の複雑さだけでなく、
・時系列の混乱(タイムスリップ系や回想系)
・象徴・暗喩の多用(過度な装飾的表現)
・哲学的・政治的主題の重さ(時代が違っただけでも理解に苦心)
なども絡み、同じ作家でも作品によって難度が大きく変わることがある。
読み手の想像力を引き出し、その先を考察。一つの作品を扱う研究者もいるくらいだ。
■ジェイムズ・ジョイス(アイルランド)
『ユリシーズ』
『フィネガンズ・ウェイク』
■マルセル・プルースト(フランス)
『失われた時を求めて』
■フランツ・カフカ(チェコ=ドイツ語)
『審判』『城』『変身』
■フョードル・ドストエフスキー(ロシア)
『カラマーゾフの兄弟』
■大江健三郎(日本)※1994年ノーベル文学賞受賞
『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』
■村上春樹(後期作品) ― 『1Q84』『騎士団長殺し』
■莫言(モー・イエン/中国)※2012年ノーベル文学賞受賞
『蛙鳴』
等がある。映画化をしたとしても難しい作品ばかりだ。(難解過ぎて映画化し辛い。映画化をすると、それはまた別作品、二次作品という扱いになる)
「映画化は試みられたけれど、原作の体験を完全に再現するのは難しい」とよく言われる。
ルキノ・ヴィスコンティ監督は『失われた時を求めて』 映画化を計画していたが叶わず亡くなった。
「難解小説」と呼ばれるものの多くは、客観的に外の世界を説明する文章というよりも、
作者や登場人物の内面の心情の変化や主観的な感覚を、そのまま文章に落とし込んでいるのが特徴だ。
難解文学の多くは、登場人物の主観や意識の流れ(stream of consciousness)を軸にして書かれることが多い。
客観的な説明や地の説明文は最低限で、世界そのものが主人公の心の投影や思考の痕跡として描かれている。
難解文学は、全てを主観で書き、客観的な部分や時代背景は読み手が補う部分がある。
ファンにとってはその余韻がたまらない、ということである。
1. 意識の流れ(stream of consciousness)
※ジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフが代表的。
思考、感覚、記憶、連想が途切れなく文章に流れ込む。
読者は登場人物の心の中を「体験する」感覚になる。(人の夢の中の話のような感覚…私の妄想へようこそ!)
2. 時系列や因果が混乱
過去と現在、幻想と現実が入り混じる。
回想や夢の描写が突然挿入され、読者は自分でつなぎ合わせる必要がある。(常に回想を『そう言えばあの時』『またある時は』『もしかすると』している)
3. 象徴や暗喩(メタファー)の多用
服の色や雨、影など、単なる描写ではなく、心理や哲学的テーマを象徴。
直接説明せず、読者が意味を読み解く余韻を残す。
(あの影が…また迫ってくる…そしてあの灰色がまた呟いた、…等の書き方)
直喩(〇〇のような、▲▲、 ▲▲はあたかも〇〇のようだ)のような優しい説明は皆無。
4. 客観的描写の最小化
「世界はこうだ」と語る地の文は控えめ。その代わり登場人物の心の投影が世界そのものとして現れる。(ちょっと待ってと前の頁を読み返す…この世界の時代背景ってどうなんだろ?)
5. 理解は読者任せ
読者は物語の筋を追うだけでなく、心理・哲学的背景を読み手自身の経験で補完する。難解さは文体、構造、テーマの多層性から生まれる。(大風呂敷を広げたまま突き放し?読者を置いてけぼりで)
つまり、「すべて主観で書いているように見える」のは意図的で、読む者に解釈の自由を与えるためでもある。(読み手は、作者に振り回される感もある。…作者のただの癖ではないのか?と思えなくもないが。)
芸術的文学の一つの形式である『難解文学』。
絵画で言う主観的心の内面をうつした抽象画のようなもの。これと同じで、勿論、文章にも結局センスが求められるのは言うまでもないが。
ただ主観を書き並べても、それは作者の自慰行為にすぎない。人に訴えるメッセージを残さなければ読み手には伝わらない。
ノーベル文学賞受賞者には、単純に話が分かりやすい作品よりも、難解文学=「単に理解が難しい文章」ではなく、
「深い心理描写」
「抽象的・象徴的表現」
「時間軸や構造の独自性」
が重視される、読み手に思考を要求する作品が並ぶ。
例えばはっきりと伝えるとタブー視されるテーマ【宗教】【人権問題】【善悪では表せないような不条理劇】等全世界共通のメッセージを含ませながら読み手に問うなどの手法を入れられれば世界中から評価される可能性が高い。
ノーベル文学賞は「人類に大きな利益をもたらした文学」に与えられるとされるので、
① 人間や社会を深く掘り下げるテーマ
② 独自の表現や構造
を持つ作品が評価されやすい傾向がある。
その結果、読解に骨の折れる作品=難解文学が選ばれることがあるという印象が強いだけ。
また、ノーベル文学賞受賞者は、社会的にその人間性をある『価値観』で評価された人物でないと受賞できないと言われている。
ここで言う『価値観』とは、人権尊重や平和への貢献、正義感など、スウェーデン・アカデミーが受賞者に期待する倫理的・道徳的側面。
スウェーデン・アカデミーは人権や平和などの倫理的価値も重視する傾向がある。
つまり、「文学的才能はあっても、社会的に問題のある行動や思想を持つ人物は受賞が難しい」と解釈できる。
逆に言うと人種差別発言、宗教批判、反体制運動等という過激な人は対象から外されることがある。
例えばドストエフスキーはロシアにおける金満ユダヤ人を批判している。
特にユダヤ人批判はノーベル賞の対象から外されることが多い。
賞を目的化してしまえば、表層的な競争にとらわれ、作家本来の創造性や独自性が損なわれかねない。
ノーベル文学賞の行方をめぐってたびたび話題に上る村上春樹氏も、そうした世間のざわめきから一定の距離を保ちたかったのだろう。
・1日1ページ、自分の感覚や思考をそのままブログに書いてみる。時系列や因果は気にせず、浮かんだまま書く。政治や社会背景、事件、事故、家族や友人のことetc
・推敲を重ねつつ自分だけの「難解小説」を作ってみる。
・私小説(自分が主人公)
・小説(架空の人物を主役にして人物を置き換えていく)
大江健三郎にみる〜
大江健三郎は単に原稿を書き終えたら終わり、ではなく、完成した原稿に対しても何度も手を入れていたことが東大のデータベースにより明らかになった。
文章として「完成」していても、大江氏の頭の中では物語や登場人物、世界のイメージがまだ生き続けていて、書き直しの余地や改善のアイデアが絶えず生まれていたのだ。
原稿として外に出た作品も、大江氏自身の頭の中では「生きて動いている物語」であり、時間や視点によって変化させられる対象であった。
・小説発表サイト、ブログに載せて、どれだけの人が読んでくれるか反応を伺うことが可能。独りよがりは禁物だ。人気が出たら個人出版も可能なサービスも。カクヨム、キンドル、pixivノベルなどがある。
個人出版をまずは目標にしてみてはどうか?
この【いきなり『難解小説』入門『難解小説の読み方』そして『難解小説を書いてみよう』】を読み込ませた上で2つのAIに短編作品を書いてもらった。
朝、否、夜だったか。時計の針は溶け、窓の外は灰色の靄に沈む。俺の指は冷たく、コーヒーカップの縁を撫でるが、温もりはどこかへ逃げた。昨日、母の声が電話越しに響いた。「帰ってきなさい」と。だが、帰るべき家はどこにある? 記憶の底、瓦礫の山に埋もれたあの家か。それとも、毎夜夢に見る、誰もいない白い部屋か。
路地を歩く。靴音が反響し、誰かの視線が背中に刺さる。振り返ると、影だけが揺れる。影は笑う。いや、笑ったのは俺自身か。路地の果て、看板に書かれた文字は読めない。漢字か、記号か、それとも俺の心が吐き出した残骸か。「お前はここにいるべきじゃない」と看板が囁く。だが、どこへ行けばいい? 母の声がまた響く。遠く、近く、頭の中で。
木枯らしが吹き、俺のコートの襟を抓む。突然、子供の頃の記憶が割り込む。あの夏、川辺で拾った石。黒く、滑らかで、握ると心臓のように脈打った。あの石はどこへ行った? いや、俺が捨てたのか? 川は今も流れているだろうか。それとも、俺の心のように干涸らびたか。
カフェに入る。女が窓際で本を読む。ページをめくる指が、まるで時間を刻むようにゆっくりだ。彼女の目は俺を見ない。だが、彼女の影は俺を見ている。影は言う。「お前は物語の外にいる」と。物語? 俺は誰かの小説の登場人物なのか? それとも、俺自身が書き手で、この世界をでっち上げたのか? コーヒーは冷め、灰色の靄が窓を覆う。
夜が来る。いや、朝か。時計は止まり、俺の心臓だけが鳴る。母の声がまた聞こえる。「帰ってきなさい」と。だが、帰るべき場所は存在しない。俺は歩く。路地の果て、看板がまた囁く。「お前はここにいる」と。影が笑う。俺も笑う。灰色の靄の中で、俺は消える。いや、俺はまだここにいる。どこにも行けないまま。
(Grok解説)この短編は、意識の流れや断片的な記憶、象徴的な描写を用いて難解小説の特徴を表現した。時系列は曖昧で、主人公の内面や感覚が中心となり、客観的な説明は最小限に抑えている。灰色や影、母の声などのモチーフは心理的・哲学的なテーマを暗示し、読者に解釈の余地を残した。物語の「場所」や「目的」は不明確で、主人公の主観的な彷徨が世界そのものを形作っている。
灰色の午後、机の端に置かれたマグカップは、もはや湯気を忘れたまま沈黙していた。指先が触れると、陶器はひんやりと、まるで誰かの諦めを吸い込んだ石のように硬い。
カーテンの隙間から射す光は、幼いころに歩いた土手の陽ざしと似ている――いや、あれは夢だったのかもしれない。記憶の端にひっかかる犬の影、遠くで鳴っていた踏切の音、それらが同時に胸の奥へ押し寄せてくる。
「書き終えたはずだ」と、私は数時間前の自分をなだめるように呟く。だが紙の上には、消し忘れた鉛筆の跡が何層にも絡みつき、まるで言葉の骸を覆う蔦のように、そこにある。
ふと、窓外の雲が低く流れた。灰の重みを抱えたそれは、見知らぬ誰かのまぶたの裏に貼り付いているようでもあり、あるいは未来のどこかに横たわる私の思考そのものでもあった。
本棚の奥で、一冊のノートが音もなく滑り落ちた。表紙の端には、あの日の落書き――影に羽を描こうとして挫折した痕跡――が残っている。ページを開くと、現在と過去の境界はあっさりと溶け、紙面の文字が空気のように私の中へ吸い込まれていく。
あのとき私は、誰に話しかけようとしていたのだろう。まだ生まれていない誰かか、既に失われたものか、それとも、書くことでしか存在できない私自身か。
ペン先を握り直した瞬間、背後から小さな音がした。振り向くと、マグカップの影が、わずかに位置を変えていた。
(Chat GPT解説)このように「意識の流れ」「時系列の曖昧さ」「象徴的な物」などを織り込み、読む人によって異なる意味を生みやすい文章にした。
2つの人工知能の書く文章はシュールな結果となった。あくまで表面的な形式を踏まえただけなので、手本になるか、どうかという以外はない。
難解文学は読むだけでなく、書くことでこそ理解が深まる。自らの感覚を糸口に、主観の迷路を紡ぐこと、それが物語を発見する最良の方法である。
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