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「忖度」無しの報道 "なんか"日本の報道に違和感を感じている人へ ちょっとクセあり番組だけど フォローしたら良いことあるかも?

赤トンボが消える国で ― 農薬規制緩和と沈黙するメディアの罪


失われゆく秋の象徴

日本の秋を彩ってきた赤トンボ。その代表種アキアカネが、全国的に姿を消している。奈良県では30年前の100分の1から1000分の1にまで減った地域もある。石川県立大の調査では、1989年に水田の8割で羽化が確認されたアキアカネが、2009年にはわずか2割にまで落ち込んでいた。

原因として指摘されるのは、湿地や水田の減少と並んで、ネオニコチノイド系農薬やグリホサートを中心とする農薬の影響だ。赤トンボの卵やヤゴが水田に残った微量の農薬により死滅し、成虫になる前に姿を消している。

しかしこの問題は、単なる生態系の変化にとどまらない。そこには日本政府の農薬規制緩和、そして危険性を語らないマスメディアの沈黙、さらに背後にある多国籍企業モンサントの暗い影が重くのしかかっている。

① 規制を緩め続ける日本政府

世界が農薬規制を強める流れの中で、日本政府は逆行した政策を続けている。

EUは2013年以降、ネオニコチノイド系農薬を規制し、2018年には屋外での使用を全面禁止した。ミツバチの大量死や受粉生態系への打撃が科学的に立証され、 precautionary principle(予防原則)に基づいた判断だった。

一方、日本では残留基準値を「緩和」する形で、むしろ使用を後押ししてきた。同様に、ラウンドアップの主成分であるグリホサートについても2017年に基準値を大幅に引き上げた。世界が危険性に警鐘を鳴らすなかで、日本だけが「安全」と言い張り、農協やホームセンターで大量に流通させている。

ここには、農薬メーカーや農業団体との結び付き、さらには外資系企業の影響力が透けて見える。農薬ビジネスの利益を優先し、国民の健康や環境への影響を軽視する姿勢が赤トンボの消失に直結しているのだ。

② 世界の裁判とデモ、日本の沈黙

世界では農薬をめぐる告発と闘いが相次いでいる。

米国カリフォルニア州サンフランシスコの裁判所は2018年、学校の校庭を管理していたデウェイン・ジョンソン氏が「ラウンドアップ」によって非ホジキンリンパ腫を発症したと認定し、約320億円の賠償命令をモンサント(現バイエル)に下した。これは世界を震撼させる判決だった。その後も数万件に及ぶ同様の訴訟が全米で提起され、2020年には総額1兆円を超える和解金をバイエルが支払う事態に発展した。

欧州でもネオニコチノイド農薬に対する市民デモや不買運動が繰り返され、農薬ロビーと市民社会が激しく対立している。フランスでは有機農業や生態系保全の観点から農薬依存を減らす国家戦略が掲げられた。

だが日本の主要メディアは、これらの動きをほとんど報じない。せいぜい「海外では議論がある」と短く触れる程度で、国内の規制緩和や農薬依存との関連を説明することはない。

情報の空白が、国民の危機感を削ぎ、結果として「農薬漬け社会」を温存する構造を作り出している。

③ モンサントの負の遺産

モンサントは農薬の巨人として世界に知られるが、その歴史は暗い影に包まれている。

ベトナム戦争で米軍が散布した枯葉剤(エージェント・オレンジ)には、グリホサートやダイオキシン類が含まれ、数百万人のベトナム民間人と米兵が被害を受けた。奇形児の出産や発がんリスク、環境汚染は現在も続いている。国際社会では戦争犯罪とされるが、モンサントは責任を認めず、米国政府も補償を限定的にしか行わなかった。

さらにモンサントは、遺伝子組み換え作物(GMO)の種子ビジネスでも世界を席巻した。農薬とセットで販売される「除草剤耐性作物」は農家を企業依存に陥れ、生物多様性を脅かしてきた。

こうした歴史を知れば、本来であれば日本政府も警戒し、メディアが告発すべき対象のはずだ。しかし現実には「便利で効率的な農業資材」として推奨され続けている。

赤トンボが消える田園風景

アキアカネは、稲刈り後の田んぼに戻り、産卵する。その命のリズムは日本の稲作文化と密接に結びついてきた。

しかし農薬の使用は、そのサイクルを根本から断ち切っている。水田に散布された農薬が残留し、卵やヤゴの段階で命を奪う。かつて秋空を真っ赤に染めた群れは、今では幻のように消えてしまった。

赤トンボが消える風景は、単なる生態系の変化ではなく、農薬規制を緩めた政府、危険を隠すメディア、企業利益を優先する構造が作り出した「人災」なのである。

基準値引き上げの意味

農薬の残留基準値は、科学的根拠に基づくとされるが、その実態は政治的な産物だ。基準を引き上げれば、昨日まで「違法」だった残留濃度が、一夜にして「合法」になる。

つまり、赤トンボが死ぬほどの濃度でも、人間への影響が「問題なし」とされる現実がある。科学ではなく政治が「安全」を決める。これこそが日本社会の最大の問題である。

メディアの沈黙と広告依存

なぜ日本のメディアは農薬の危険性を語らないのか。

第一に、広告収入への依存がある。大手新聞やテレビにとって、農薬メーカーや関連企業は重要なスポンサーであり、彼らを正面から批判することはできない。

第二に、政権との癒着だ。農業政策は農水省と与党の強い影響下にあり、メディアは批判よりも迎合を選ぶ。

結果として、赤トンボの激減は報じても、その背後にある農薬問題や規制緩和には触れない。こうして国民の「知る権利」は奪われている。

世界と日本の分岐点

欧米では、市民の声が農薬規制を進めている。EUは「生物多様性戦略」を掲げ、農薬使用量を半減させる方針を打ち出した。米国でも訴訟の嵐が農薬企業を追い込み、農業のあり方が問われている。

一方、日本は規制緩和を重ね、「農薬天国」と揶揄される状態だ。政府は「科学的に安全」と強弁し、メディアは沈黙する。その結果、赤トンボが消え、子どもたちが空を見上げても群れを見られない未来が現実化している。

赤トンボと民主主義

赤トンボの消失は環境問題であると同時に、民主主義の問題でもある。

政府は基準値を引き上げ、企業は利益を追求し、メディアは沈黙する。国民は真実を知らされず、環境は破壊される。この構図が変わらない限り、赤トンボは二度と戻らないだろう。

だが希望はある。水田や湿地を保全し、農薬使用を減らし、有機農業へと舵を切れば、生態系は回復する。必要なのは「知ること」と「選ぶこと」だ。

赤トンボが飛ぶ原風景を次世代に残せるかどうかは、いまの私たちが真実に向き合うかどうかにかかっている。

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