「忖度」無しの報道 "なんか"日本の報道に違和感を感じている人へ ちょっとクセあり番組だけど フォローしたら良いことあるかも?
「市長から国を変える」——この言葉を体現した政治家がいる。兵庫県明石市の元市長・泉房穂氏だ。
彼は政党に頼らず、市民の信任のもとで前例のない改革を実現し、今や国政への挑戦を始めている。
本記事では、泉氏の幼少期から現在までの歩みを辿りながら、その「奇才たる所以」を読み解いていく。
泉氏は、かつて差別が根深く残る漁村に生まれ育った。父は小卒の漁師、母は中卒の大工という家庭。
厳しい生活の中、泉氏の4歳下に生まれた弟には重度の障害があった。
優生保護法が当然のように運用され、「障害児は不幸だ」という空気が支配していた時代。
弟は「放置して死を待て」と医師から告げられるが、両親は育てる決意をした。
障害者への差別を目の当たりにし、「自分が社会を変えなければ」と小学校5年生で市長になる決意を固めたという。
東京大学では左派運動に身を投じ、全学ストの責任者も務めるが、敗北。責任を取る形で退学届を提出する。
しかし後に「未受理」であることが判明し、最終的には卒業。
その後NHKや朝日新聞で働いたのち、政治家・石井紘基に出会い、感銘を受けて秘書となる。
石井の暗殺を機に「自分が代わりに政治を担う」と決意し、弁護士資格を取得。
さらに社会福祉士の資格も取得し、困っている人を支える活動に没頭した。
2011年、明石市長選に市民の支持だけを頼りに出馬。全政党が対立候補を支援する中、わずか69票差で初当選。
彼は言う。「権力に忖度せず、市民とだけ手を結ぶ」。
それを本気で実践した。
子育て支援に注力し、人口流入・税収増・高齢者支援まで波及させた。
最初は「子育て世代ばかり優遇」と批判されるも、最終的にはすべての世代に恩恵が及び、市民から厚く支持されるようになる。
議会やメディア、業界団体からの抵抗も激しかった。
暴言問題や録音流出で辞職に追い込まれた時期もある。だが再選挙では圧勝。
その背景には、政策の成果を目の当たりにした市民の強固な支持があった。
反対派からの殺害予告、自宅への嫌がらせ、職員によるリークなど、通常なら潰れてしまうような圧力にも屈しなかった。
「自分は地獄から来た。これくらい大したことない」——幼少期の苦しみが、今の強さの源だ。
泉氏のビジョンは明快だ。「子どもに優しい街は、すべての人に優しい街になる」。
実際、子育て世代を支援することで人口が増え、経済も回り、高齢者や中小企業にも恩恵が及んだ。
この「明石モデル」は周辺自治体にも波及し、全国に影響を与え始めている。
「小さな自治体でできたことが、国にできないはずがない」。
だから彼は、参議院選挙に挑むのだ。
泉氏の本当の強さは「市民目線で筋を通す」ことにある。
忖度しない。必要ならば対立を恐れず、徹底的にやる。
その姿勢に、「怖いけど信頼できる」と多くの市民が心を動かされた。
彼の好きな四字熟語は「四面楚歌」。絶体絶命の状況でも戦い抜く覚悟がある。
「自分が変えなければ誰が変えるのか」——そう信じて、泉房穂は再び国政の場へと歩を進めている。
泉氏の歩みは、一人の人間が「自分の原体験を社会に返す」ことの連続だった。
幼少期の理不尽、障害を持つ弟への差別、それを乗り越えた家族。そのすべてが、彼を「奇才」と評される政治家に育てた。
明石での成功は偶然ではなく、理念と実行力があったからこそ。今後、泉氏のような政治家が全国に増えていくことを期待したい。
コラムニスト:根本 良輔(ねもと りょうすけ、1994年6月21日)
東京都練馬区出身。くりのみ保育園、大泉南小学校、大泉第二中学校卒業。石神井高校、芝浦工業大学を卒業後、東京大学大学院へ進学し(のち中退)、電気工学の研究に従事する。会社経営者、政治活動家、つばさの党幹事長。二児の父。
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